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味な宿みゆきの杜

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Author:miyukinoaji
北信州の大地で育まれた美味しい食材をふんだんにつかって心を込めてお作りしています。

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味な宿★みゆきの杜
大崎下島から今治へ
旅の効用

神峯山を後にしてS氏と別れ、明石港から大崎下島に戻,る。
明石港には大崎上島から大崎下島へ運ばれるミカンを満載にした軽トラも何台か控えていた。
大崎上島の選果場が廃止されてしまい、ミカン農家は都度隣の下島へ運ばねばならないという。
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中には車は船に乗せず、台車のみでミカンを運ぶ人もいる。
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当初の予定よりも1本早い1630分の便に乗れたので、明るいうちに宿に帰ることができた。
わずか13分の船旅。
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夕食は朝と同じく、築山さんのところで厄介になる。

ほかに客人があって、少し段取りがうまくいかなかったらしく、しきりに詫びられる。
しかし、こちらとしてもそのような過分な接遇は期待しない。
むしろ、飲食店というよりも田舎のおばあちゃん家を訪れているような感覚で、かえって好ましい。

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こんな田舎があったらな、とふと思った。

翌朝は岡村島から今治行きのふぇりにーに乗ることになっていた。出航時間は6:50で、岡村港まで15分くらいかかることを考えても、6:15頃には出発しなくてはならない。
ゲストハウスの矢野氏が、早起きして私たちを見送ってくれる。

往々にしてゲストハウスは、朝が遅い。 沖縄のゲストハウスなど、8時を過ぎても真っ暗なところが少なくはない。
8時はまだ早朝で、スタッフももちろんまだ眠りの中、そんな宿が多数存在する。

そんな若者向けゲストハウスにおいては、チェックイン時に翌朝の早発ちを伝えてはいても、見送りを経験したことはない。(とは云っても、7時とかその程度のレベルだが。。。)

先日泊まった諏訪のゲストハウスにおいても、7時少し前の出発だったが、私は誰にも気づかれず、そっと出発した。

だが、此処は違った。


矢野氏はどこまでも平身低頭、親切なひとである。
仕事として割り切っている感じではなく、人柄がにじみ出ている感じでもある。

よく、サービスを語るときに「小さなサプライズ」が引き合いに出されるが、それはひとことで言い換えるならば「親切」ということに尽きる。
サービス業を営む者は、時にはこうして親切に触れることで、お客の気持ちになって物事を考えることができる。

それは決して豪華な至れり尽くせりのサービスというわけではない。
恭々しいサービスを受けるというわけでもない。

何気ない親切を体感することで、わが振る舞いに必ず反映されるものである。

宿屋たるもの、やはり旅をしなくてはならないのである。




来島海峡へ


世間がにぎわう週末とは無縁の岡村港は、まだ夜が明けやらぬ中、ひっそりとした空気に包まれていた。
今治に向かう車は、地元の車ばかりが約4台。よそ者は私たちだけだった。
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柴犬卑弥呼の排泄のため岸壁で散歩させる。
いま此処で脱走されたら、まず間違いなく行方不明である。 卑弥呼に帰巣本能が備わっているとは思えず、奴はきっとこの場所で野生化するに違いない。(^^)
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大下島、下大下島を経由して来島海峡をめざす。
去りがたし大崎下島、大崎上島、である。
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たくさん乗った船も、これが最後である。

今治市営渡船 第二せきぜん
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総トン数800トン、航海速力11ノット(時速18.5km)

皆、島との別れを惜しむように、ずっと後方の甲板でたたずんだ。
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来島海峡は、東の鳴門海峡と並んで潮の流れが速いところである。
が、この時間帯はまださほどでもなく、本船・第二せきぜんは何事もなかったかのように海峡を通過してゆく。
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瀬戸内を航行する船を眺めていると、もし自分が大学時代にこの光景に遭遇したなら、瀬戸内での宿屋開業をめざしたかもしれないと、ふと思う。

ひとつの旅が、人生を変えるキッカケとなることがある。
実際、大学時代にユースホステルを初体験し、卒業前に釧路の宿で住み込みを体験したことが今の人生のすべての始まりだった。


子供のころは、ただ願望だけで


プロ野球選手になりたい
ユーチューバになりたい
歌手になりたい


実現可能性に関係なく、異口同音に夢を語る。

が、大きくなるにつれて次第に現実的になる。
そして大学生ころになると、多くの青年たちは「サラリーマン」になることを前提に進路を考える。
どうせサラリーマンになるならばと、有名会社の社名、たとえば大手旅行会社や金融機関、運輸機関、食品メーカーの名前が就職人気ランキングにずらりと並ぶ。

しかし多くのランキング会社は末端の消費者、いわゆるエンドユーザ向けの会社ばかりである。

たとえば大手食品メーカーを志望会社としてその名前を挙げる大学生はゴマンと存在するが、その製品のパッケージを作る包装メーカーの名を挙げるひとはあまり存在しないし、食品添加物の会社を目指す人はさほど多くはない。

要するに若者の職選びの第一歩は、見た目の華やかさ、知名度が先行するのである。


自分の場合、最終的には貨物船の会社に入社を果たした。

周囲の仲間は、もっぱら大手都市銀行、生命保険会社、家電メーカーなど、誰もが名を知る有名会社に就職したが、自分は少し違った。

仲間内からは「中村らしいわ」などと言われたが、しかしその選択は正解だった。


海運会社は構造的に好不況を繰り返す。
慢性的な不況の中、生き続けている国の物流の根幹をなす産業なので、絶対に絶滅することはない。
将来あらゆるサービスが自動化されても海上輸送がなくなることはない。
線路がない鉄道と違って、運転が自動化されることもおそらくない。

許されるなら、少しの間、内航貨物船の船乗りになってみたいとも思う。


伝統か、慣習か、どちらかといえば家族的な会社が多く、採用人数が少ない故に新人が大切にされる傾向にもある。
海運業界における、所謂「ブラック企業」比率はとても低いのではないかとも思う。


伝統的に、海運会社は労働組合の力が強い。
中でも、「泣く子も黙る、全日本海員組合」と称される船員の労働組合の存在は絶大で、どんなに決算が悪くとも、世間並以上のボーナスが出た。
昔ほどではないが、いまもその影響力は少なくはない筈である。

陸上従業員も船員の賃金交渉にならい、恩恵を受けるように安定的な好待遇が続いた。

自分の場合は31歳で退職したが、最後の年の源泉徴収票は税込み550万円だったので、同世代の中ではかなり好待遇だったのではないかとも思う。
50を過ぎた今、当時の同期はそろそろ部長に昇格するころだが、おそらく皆年収は1200万円は下らないはずである。

今もし世の中のあらゆる仕事に就けるとしたら何をしたいかと問われれば、寝台特急の運転士か、旅客機の操縦士と答える。
ただ、私がいうところの寝台特急は、ほぼ絶滅してしまったので、仮にその能力があったとしても叶わぬ夢ではある。

が、仮に現実的な事務職の中から選べと言われたら、おそらくかつて勤めていた会社を選ぶに違いない。

それ程までにいい会社でいい業界だったのである。

恵まれた労働環境だった故に、休みも潤沢で、趣味にも打ち込めたし、旅にも頻繁に出かけることができた。
第2の人生設計へむけて熟考する時間もあった。


が、あらためて、やっぱり人生何があるかわからない、とつくづく思う。

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