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味な宿みゆきの杜

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Author:miyukinoaji
北信州の大地で育まれた美味しい食材をふんだんにつかって心を込めてお作りしています。

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味な宿★みゆきの杜
最新鋭オレンジフェリー 
オレンジフェリーとは


瀬戸内には九州行きを中心として夜行フェリーネットワークが張り巡らされているが、四国行きの夜行便は、オレンジフェリー1社のみが運航している。 
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私が大学を卒業して入社した海運会社では、入社から半年で、ウッドチップ運搬船のひとつ、「中越丸」の運行責任者を任された。

その船主は、四国波方に本社をおく、瀬野汽船という会社だった。
このオレンジフェリーは、その瀬野汽船の子会社であり、役員の中にはサラリーマン時代に面会したことのある人も名を連ねている
何かと縁を感じるフェリー会社でもあるのだ。
いわゆる同族会社で、いまなお役員は瀬野姓が大半を占めている。

この日の就航船「おれんじえひめ」は、動く海上ホテルをコンセプトに掲げ、2018年に就航した豪華フェリーである。
総トン数14000トン、全長199.9mのサイズは、新日本海フェリーに代表される長距離北海道航路の船型に匹敵し、瀬戸内海を航行する定期長距離フェリーでは最大となる。

乗船し、まずは客室へ向かう。
国内長距離フェリーとしては初めての試みとなるオール個室化を果たしたフェリーであり、まるでこのコロナ禍を予見したかのようなつくりである。

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豪華絢爛な吹き抜けや長大な絵画など、かつての太平洋フェリーを彷彿とさせる。
その本家・太平洋フェリーは、新造船「きたかみ」を契機にの質素路線に舵を切ったことは記憶に新しい。

やはり長距離フェリーには一定のワクワク感が必要なのである。
その点、あえて豪華路線を維持した、このオレンジえひめシリーズは評価されるべき点である。
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食事に出かける

荷物を置いたら、まずはレストランに向かった。
オール個室化のあおりなのだろうか。定員に比べて座席数の少ないレストランゆえにずいぶんと待たされる。

新日本海フェリーなどのシステムとは異なり、オーダーを受けてから調製するという同社の従来からのポリシーが踏襲されており、丸亀製麺のような、流れでの料理受け取りができないのは、やはり繁忙日にはつらいものがある。

私は最近のブームにのっとり、てんぷらそば、母ちゃんは鯛めし、春花はカツカレー、ゆずかはカレー。

受け取った、地域共通クーポン5000円分のうち、4000円分をここで使った。
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ゆずかにもカツカレーを注文させて、カツのおすそ分けを期待したのだが、ゆずかはそれをかたくなに拒否。
普通の感覚では、なかなか理解しがたいのだが、カツの「衣カス」がご飯に付着することを嫌ってのことであり、いかにもゆずからしい。
長時間ドライブ後の疲れか、ご機嫌斜めなのはいつもの「ルーティーン」なので仕方がなかった。
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蛇足だが、スーツを着用した男性レストランスタッフ。ボタンを二つとも止めるのはやめたほうがイイ。
マナーを知らない就活男子大学生みたいで、みっともないこと極まりない。(^^)

船内に「乗船の感想やレビューをお願いします」との投稿用QRコードが掲示してあったので、豪華なフェリーに関する称賛の言葉と合わせ、彼らの間違ったスーツマナーを指摘させていただいた。

投稿か2日後、「中村さまのご指摘の通りでございます。改善します。」と返事があった。

差出人の苗字はやはり瀬野さんだった。




遠ざかる大阪

食事を終えて、遊歩甲板へ出てみた。
東予までの比較的近距離を8時間かけて航行する船ゆえに、航海速力は他航路に比べて18~19ノット(時速35km)と遅い。
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遠ざかる大阪湾の夜景、そして23:30頃に明石海峡大橋通過を見届けた。
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暖かな一日だったとはいえ、やはり11月の海風は少し冷たかった。



東予からしまなみ海道へ
東予から大島亀老山展望公園

定刻通り、本船はまだ夜が明けない東予港に到着した。
特段観光地でもない、市街地郊外の殺風景な岸壁に次々とクルマやバイクが吐き出されていく。
しまなみ海道ツーリングか、松山道後温泉にでも向かうのだろう。
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【あしどり】




下船後、まず朝食を調達しにローソンへはいる。

今や町の商店に地域色などは残っておらず、どこに行っても中堅都市以上は判で押したような同じ風景が続き、旅のワクワク感がそがれてしまう。
しかしながら、もはやコンビニはその最たる存在でもあり、日常には不可欠なあたりまえの景色なのは言うまでもない。

食料を調達したのち、北西に進路をとり、さっそく西瀬戸自動車道、しまなみ海道へと分け入る。
過去2回は原付、そして自転車で全線を通過した。

いずれも専用道路が併設されていて、橋上での立ち止まりは自由である。 しかし、自動車専用道路ゆえに、もし止まって見物したいのならば、ところどころに設けられているPAまたは、都度ICから一般道に降りる必要がある。

第一、第二来島海峡大橋を渡る。
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丁度日の出の時間帯で、車を止めて写真を撮りたくなる衝動に駆られるが、もちろんそれはNG。

さっそく一つ目の島である大島で降りて亀老山展望公園を目指す。
過去二回、ここを訪れたことはなく初めての訪問だったが、予想通りの絶景に息をのんだ。

連休初日だが、朝早い時間帯とあってほとんど誰にも会うことなく、わたしたちは絶景を独り占めした。

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大島から生口島、因島、向島
島を転々と


亀老山を後にして、島の北東側をたどる。
Googleマップでは案内された道だったが、そこは藪が生い茂る、軽トラ道だった。
県道とは名ばかりで、農作業者さえほとんど通らないのではと思われる、狭小道で、まるで沖縄の八重山群島の限界集楽に続くかのような雰囲気さえ漂う。
対向車がやってきたら、すれ違いなどまず不可能である。

そんな道を15分ほど走り、島の中心部宮窪にさしかかる。

対岸の鵜島との間に狭い瀬戸があり、潮がある程度満ちていれば、海面が川のように流れるさまがみられるのだが、あいにくこの時間帯は最干潮で、その様子をうかがい知ることができない。
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山で育った子供たちにその様子をぜひ見せてやろうと立ち寄ったが、残念ながら果たすことができなかった。


そもそも、父母が車の外に出て景色を眺めていても、子供たちは「大した場所でない」と判断すると、ただただ眠りこけているばかりである。
「連れてこられる旅」では、どうしても仕方のないことなのだが、なかなかうまくいかないものである。

大島のICで再び西瀬戸道へ合流する。
大三島の道の駅は沿線最大の規模だが、まだ朝早く営業していない。 
子供たちをある程度満足させるには、物産や食べ物、売店などで引き付ける必要がある。 代わりに多々羅大橋を渡った先の瀬戸田PAに立ち寄った。 
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ゆずかが、さっそく鬼滅の刃ご当地キーホルダーを買い求めていた。
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因島にて

つぎに向かったのは因島だった。
小説家・三浦しをんの作品では、たびたびこの島が舞台となる。

日立造船で大いに栄えた「因島市」だが、ご多分に漏れず斜陽化し尾道市と合併、今に至る。
とはいえ、現役の大型ドックはまだまだ稼働中で、住民も多い。大型店や家電製品店も立ち並ぶ、なかなかの都会といえる。

そんな島の北、因島大橋のたもとに「因島レストハウス」に向かった。
因島名物として近年とみに有名になった「はっさく大福」がお目当てである。

まだ10時にならないというのに、先客が多数おり、皆、因島大橋を見上げる窓際のカウンター席で餅をほおばっている。
私たちも負けじとほおばった。

いくつかの種類が売られていたが、なるほど、一番の名物である「はっさく大福」が一番うまかった。
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いくつか商業施設を巡って感じることだが、瀬戸内のこの一帯は、名産であるかんきつを加工したお菓子が名物として君臨しているということである。
その手法は信州のそれと全く同じだが、売り方のせいなのか何なのかは計り知れないが、どうも信州はあか抜けない。

小さな瀬戸田PAの土産物コーナーでさえ、その品ぞろえには圧倒された。
いっぽう、信州はどこに行っても小布施の栗菓子である。

言い方を換えるならば、自信をもって売れる菓子をどうしても小布施の栗菓子に頼ってしまいがちということであり、決して喜ばしいことではない。




尾道水道をゆく

因島まで来るといよいよ本土は近い。
陸地や島で挟まれた、海域の狭い場所を 「海峡」「水道」「瀬戸」と呼ぶ。
瀬戸内海でも場所によってさまざまな呼び方がなされるが、ここ尾道では「尾道水道」と呼んでいる。

尾道へは、3本ある渡船のうち、福本渡船を選択。車とヒトを載せてわずか300円足らずという運賃設定はまさに隔世の感がある。
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客室を持たない、鉄の枠組みだけで構成された両頭の「台船」がただひたすら健気に海峡を往復するその光景は、尾道の風物として、ぜひ見ておくべき遺産風景ともいえる。
そんな父の意図が果たして子供たちに伝わっただろうか。
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尾道観光
尾道彷徨

しまなみ海道を渡り終えた先には尾道がある。
まずは車で丘に上がり、千光寺駐車場に車を止める。
卑弥呼を連れて、定番の展望所、そして千光寺へと下った。

尾道は、寺のまちであり坂のまち、そして映画のまちでもある。
坂道や路地を散策して、疲れたら雰囲気の良いカフェでひと休み。昔観た懐かしい映画のロケ地を周るのが観光の定番である。

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小柄な黒柴犬はやはり目立つらしく、行く先々で


可愛い~!


などと声がかかる。
が、見た目にたがわず人懐こくはなく、頭が悪い。(^^)
もしここで脱走されたらまず間違いなく私たちの元に帰ってくることはないだろう。

名前を呼んでも反応しないし、おいで!と呼んでも寄ってくることはない。

柴犬関連の書籍には柴犬の性格を「飼い主に媚びない」「ツンデレ」などと書かれているが、言い換えるなら、より野生に近く、人に懐かないということを意味する。
その実態は、洋犬と比較するならば、どちらかといえば猫に近いともいえる。

柴犬=人懐こく愛らしい

という公式は、あくまで見た目のハナシであり、メディアの間違った印象操作といえなくもない。
アライグマを愛玩動物として認知させたアニメの罪は重いのである。

とはいえ、卑弥呼は可愛い愛犬であることには変わりはないのだが。



千光寺を通り過ぎたところにある「みはらし亭」でティータイムとする。
もちろん犬は店内には入れないので、外のベンチでいただく。
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店内のカウンターから眺める尾道水道の風景もまた秀逸で、志賀直哉がこの地で、長編小説「暗夜行路」の執筆活動に没頭したというのもなるほど納得がいくというものである。
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エスプレッソマシンで淹れた濃いコーヒーがうまかった。



そこから私は単身車に戻り、あとの3人はそのまま坂を下った。
尾道観光はやはり狭い路地を通って下のアーケード街も楽しみたい。私は車を運転し、ふもとの商店街で待ち構える。


約20分後、再び合流しラーメンの昼食を楽しむことにする。

しかし、週末とあってめぼしいラーメン屋はどこも行列が長い。
ようやく見つけた駐車場に車を停め、行列の短そうな店を探すが、歩き始めて5分後、果たして小さなラーメン屋を発見し着席することができた。

その名を3坪商店と云った。
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XX商店

なるネーミングは、ラーメン屋に限らずゲストハウスやカフェにまでも使われる最近流行の屋号でもあり、おそらく開店してからの年月は長くなさそうである。
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名前の通り、店内はカウンター5席のみの極小店舗であり、20台半ばと思しき若者が一人店番をしていた。

肝心のラーメンは尾道ラーメンには珍しいストレート細麺である。
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しかもかなり塩気の強いスープである。
塩気が強いとは言っても富山ブラックとはまた異なる。

細麺に味がよく乗るように考えられた味付けと思われ、くだんの若者に尋ねてみると、姉妹店の本店が九州ラーメンらしく、その流れで細麺を採用しているとのことであった。

食後は本通りアーケード街のそぞろ歩きを楽しむ。
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途中でふと立ち寄ったレモンスイーツの店は本当にレモンケーキ専門店の様相である。しかも相当営業歴の長い商店と思われる。
まるで小布施の栗菓子店がレモン菓子店に化けたような感じにも見える。

特産を生かしたスイーツで身を立てるならば、逆に此位のこだわりがなくてはならないということなのか。
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広島銘菓のもみじ饅頭が、陳列台の隅に脇役のごとく置かれていた。



音戸の瀬戸にて
音戸の瀬戸の渡し船

尾道を後にして高速道路に乗る。導かれた先は山陽新幹線新尾道駅近くにある山陽自動車道のICだった。

【あしどり】




途中、小谷SAで給油、650km走行した平均燃費は10.4km/Lの結果となる。
ちなみにこのSA,いまから20年以上前、福岡の西鉄バスジャック事件において、少年の犯人がこのSAで立てこもったことでも有名になった場所でもある。


呉の目的地は音戸の瀬戸である。
山国に住む人間にとって、人の暮らしが息づく海の風景は格別なものを感じる。
特に海峡や、運河、狭い水路などの生活臭のする場所はまた格別だ。

音戸の瀬戸は、平安時代末期、平清盛によって開削されたとされ、1951年(昭和26年)~1957年(昭和32年)に拡幅された。
海峡の長さは約1km、幅は最も狭いところで約90mで、広島湾から安芸灘へ抜ける最短コースであるため、船舶交通量は1日約500隻にも及ぶ。

“音戸の渡し”は、倉橋島の音戸側から呉市の警固屋側を約3分で結ぶ日本一短い定期航路とされ、その歴史は約300年におよび、音戸大橋が架かるまでは市民の大切な足として、多い時には1日約5000人と約1000台の軽車両が渡し船に乗って行き来し、渡しの回数は約250回にも達したという。

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橋が開通した後も、徒歩や自転車を中心として利用者は多く、おそらくこの先もこの渡し船は住民の生活インフラとして長く続くことであろう。

そんな日本一短い航路には過去2回、合計5回は乗っている。
今回、私は送迎役となり、まずは本土側の警固屋で3人を降ろし、音戸大橋を渡り倉橋島側へ渡った。

本土側の船着き場
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時が止まったような待合小屋
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音戸の瀬戸公園から警固屋乗り場を見下ろす
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「乗船するひとは、桟橋の上に立って待て」とのことだが、対岸の船はなかなかこちらへ向かってくることがない。
船頭がヒルネ中なのやもしれず、心配するが3人はただひたすら桟橋で立ちすくんでいる。

しばらく公園で様子をうかがっていたが、5分が経過したころ、果たして対岸の船がゆっくりと動き出した。

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